■ 安全をつくる役割はだれ?

このまえ、自転車の歴史をまなぶ機会がありました。

ハンドルもサドルもタイヤも、全部が木でつくられているものもあって、

それを知るといまの自転車がとても洗練されてきているなと。

そもそも昔の道なんて舗装もされてなくて、その上を木材のかたまりで走るなんて、

想像しただけで、おしりが痛くなる。

それでも昔の人は、その自転車に感動したんだろうなと思うと、

いまの自分は新しい何かに感動することがあるのかと自問自答してしまいました。

 

たぶん小学生に入ってから自転車は乗り始めて、

乗ってしまえば、どこでもスイスイ行って、

家の周り1キロ圏内くらいなら、どんな細い道も知ってたような気が。

「こっち行ったらどこに出るのかなぁ」って道の新規開拓。

もし行き止まりでも、さーっと戻ればいいから、あまり気にならない。

っていうのを思い出してたら、

きっと乗れたことには感動したけれど、

どこにでもスイスイいけるこの便利な乗り物自体には感動してないんだろうなって。

ってなったら、道がふつうに舗装されてることなんて…

 

快適・安全が常に考えられて、試行錯誤して、時には失敗もして、

いまあるモノやサービス、それを使える環境はきっとできているはずで、

ぼくたちの生活はそのうえになりたっている。

 

ひとつ事故が起きると、間違った使い方をした人は法律のもとで罰せられ、

モノやサービス、環境づくりに継続的な改善を求められる。

人は罰せられるだけ、そこを変える流れにはなかなかならない。

 

安全をさいごに作りこむのは、ぼくたちの役割な気がする。

じぶんに100%適してるものはないんだから、少しずつ補正が必要。

安全に生活するために、何気ない日常を過ごすためには、

ほんの少し考えることも必要なんだと思う。

 

いま画策している『こどもの“イマ”と“ミライ”を守る交通安全教室』では、

使っている乗り物やいつも通る道についても考えて、

より身近な内容で、その帰り道から意識できる何かを得られる場所にします。

 

身近な内容にするためには、みなさんの力を借りないときっと完成しないので、

その際は、ぜひご協力よろしくお願いします。

 

2018年9月22日

専務理事 大野祐一

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