NPO法人つなげる

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育児を、みんなで育てる社会を目指して

2020.06.26

B.理事ブログ

昨日の午前中、つなげるピアサポーターのメンバーさんから教えてもらったとても悲しい事件について、今日も仕事をしながら考えていました。

■毎日新聞

 

多胎家庭は、子どもが小さければ小さいほど手がたらず支援を必要とする家庭です。ただ、今回の事件は「だから、多胎には支援が必要なんだ」と、ひとくくりにしてよいものかどうかと、多胎支援の必要性を訴えている立場なのに、疑問に思ってしまうのです。

きっと、亡くなった2才のボクはさぞかしこわかっただろうし、泣くことでなにかを訴えていたのにもかかわらず、なぜこんな想いをしなくちゃいけないんだろうと思うと、とても辛く悲しい気持ちでいっぱいです。

だけど、今回も母親をジャッジする気には到底なれなかった。ただただ、何があったのか、これまでどうしてきたのか。それが気になります。

そして、このような問題はいつの時代も繰り返されていて、いまも「たまたま生き永らえただけで、いつ死んでいてもおかしくなかった状況にある子ども達」がいるのかとおもうと、いま自分で道を選択し歩ける大人になったのなら、一体わたしになにができるのだろうかと考えています。

 

そもそも、多胎支援を始めたのは、子どもへの虐待を無くしたいから。

社会福祉士になるために学び始めたときのわたしは、どうしたら虐待する親を裁き、子どもたちの安全を確保できるかを考えているような人間でした。虐待するような親からは、一日も早く引き離すことが幸せだと考えていたんです。でも、いまはあまりそうはおもいません。もちろんケースによっては引き離すことが最適であるけれど、すべてがそうではないと感じるようになりました。それは、引き離す前にできることがあると分かったからです。

とても深刻な問題を抱えるケースは除きますが、一般的なケースでは、その人自身が望む生きた方とその人自身の良さに着目したうえで、その人自身と環境の間になにかしらのエラーがおきているのなら、その接点に介入(サポート)することでうまく回り出すとわかったからです。

そこで、困難な時期が顕著に現れやすい多胎育児が虐待につながるケースもおおいので、接点で的確なサポートができるようになりたくて、この事業をしています。

だから、決して多胎だけではなく、子育てをする親子や家族にたいして同様の困難をかかえているのであれば、サポートしていきたいと考えています。虐待事件を遠巻きでみるのではなく、「命の誕生を当たり前に喜べる社会」を目指し、「育児」を「孤育て」にせず、みんなで育てていきたいです。

 

(これがあればいいのかな?書き出してみた。ほかにもあれば教えてね。)

・ママ(養育者)が疲れすぎないこと

・しっかり睡眠がとれること

・気持ちを吐露できる場所がちゃんとあること

・状況をしっかりと確認し、解決にむけて情報を得ることができること

・情報をもとに行動ができるようサポートがあること

・怒りのコントロールができること

 

 

町田市の事件と見えていた虐待へのリスク

 

■毎日新聞

文中にある言葉をそのままひろうと「泣き声が近所に聞こえないか気になった」から、「布団を巻いた」とありました。

「泣き声が気になる」というのは、単胎・多胎関係なく、育児真っ只中のママ友同士ではよく出るキーワードのような気がします。

泣き声が気になるママ(養育者)たちは、泣き声をきくと「何かあったのだろうか」と「気になり」お世話をしたりあやしたりしますが、やれることをやっても泣き止まなければ、ママ(養育者)自身が責められているような気持ちになって辛くなったり、苛立つことだってあるでしょう。また、手を尽くしていても「泣き声通報」でご近所さんから虐待を疑われて通報されるかもという不安もよぎります。

以下は、厚生労働省からだされた「子ども虐待による死亡事例等を防ぐためのリスクとして留意すべきポイント」です。

 

<養育者の側面>

・子どもの発達等に関する強い不安や悩みを抱えている

・多胎児を含む複数人の子どもがいる

<加害の動機>
・例年同様、「保護を怠ったことによる死亡」「泣きやまないことにいらだったため」が比較的高い割合を占める。
保護を怠ったことによる死亡 9例・9人(17.3%) ※2~14次:105人(15.0%)
泣きやまないことにいらだったため 6例・6人(11.5%) ※2~14次:60人(8.5%)

(引用)厚生労働省

PDF 子ども虐待による死亡事例等の検証結果等について(第15次報告)のポイント(別添1)(PDF:1,456KB)より

 

 

子育てをされた方なら分かるのではないでしょうか?

なにをどうがんばっても、泣くものは泣く。あやそうと怒ろうと、なにをしても泣くんですよね。

はたからみれば、あかちゃんは泣くもんだといわれますが、分かっていてもとても疲れます。ましてや、住宅が密集すると何かと気になると思います。

ただ、だからといって今回のケースのような行動が許されるものではないし、なぜこのような行動をとろうとしたのか何がそうさせてしまったのかと考えてしまうのです。

この悲しい事件は、双子(多胎)に限ったことではないでしょう。

多子であっても、ひとりっ子であっても起こり得ると思います。

 

困難さは人それぞれ 他人にはわからない

 

あなたは一人っ子だから楽ね。

年子の方がマシよ。

こどもが沢山いたら、みなで遊ぶから楽よね。

余裕がありそうでいいわね。

旦那さんが協力的だからあなたはいいよね。

そうかもしれないし、見えないだけでそうじゃない家庭もある。

だから、それぞれがそれぞれで頑張っているのなら「あなたは恵まれているから、がんばんなさいよ。」ではなく、助けてほしいときは助けてといえる社会であったり、周囲が声をかけあえたり手を貸せたりできるような関係性がもてる社会であってほしいと思うのです。

 

このブログをかいていて思い出すのは、コロナ禍での多胎支援応援物資プロジェクトをしていたときにいただいた、あるママからのメールです。

その方は、仕事をしながら、2人のお子さんを育てておられました。旦那さんは発達障害があり自宅におられ、年齢差のある2人のお子さんは多動だったか、育てるのが大変なお子さんだったというようなことを書かれていました。そして、『はたからみれば私たち家庭は普通の一般的な家庭に見えるので、だれからも支援をしてもらえることもなく、一生懸命わたしが何とかしなければとがんばっている。だから、活動の批判をするつもりはないが、多胎ばかりが手厚く支援されるというのはモヤモヤした気分になる。どうか私たちのような家庭があることも知って欲しい。』というようなことが書かれていました。

このメールを読みながら、なんとか家族を支えようとひとり踏ん張る彼女が、毎日どれほど自分をふるい立たせ乗り切っているのだろうかとおもうと、双子はマイノリティだったから支え合おうとピアサポーターがいるコミュニティがあるけれど、マジョリティであるがゆえ心のうちを安心して吐露できるピアサポーターがいるコミュニティがないんだとわかり、その大変さは計り知れないなとかんじました。

いますすめている「ふたごのまち」の多胎支援をちゃんとシステム化して、必ずあなたのような家庭へも支援サービスが横展開できるようがんばるから。と思わずにはいられませんでした。

 

怒りのコントロール

 

多胎でなくても、多子家庭であっても同様の問題は起こり得るでしょうし、一人っ子であろうと、年子であろうと、子どもを育てるというのはかわいいだけでは乗り切れるものではなく、親自身も悩み、怒りをコントロールすることに苦労しながら誰もがやり過ごしているんだと思います。

いま、つなげるピアサポーターさんの中にアンガーマネジメントの講師さんがいらっしゃいます。

彼女に学びの場を作ってもらおうと思います。現在企画中ですが、参加をご希望でしたら「ふたごのいえ」へ来てみてくださいね。

これがあればいいのかなって思うことを書き出してみて、ふたごのいえがその役割の一部を担えるとおもっています。

 

 

 

(これがあればいいのかな?書き出してみた。ほかにもあれば教えてね。)

・ママ(養育者)が疲れすぎないこと

・しっかり睡眠がとれること

・気持ちを吐露できる場所がちゃんとあること

・状況をしっかりと確認し、解決にむけて情報を得ることができること

・情報をもとに行動ができるようサポートがあること

・怒りのコントロールができること

 

多胎や多子、一人っ子などの垣根なく、育児を、みんなで育てる社会になることを願って。