「300円100人寄付」を始めたきっかけ
2020.01.26
□ 「寄付」というイベント
「寄付」という言葉自体は、子供のときからよく知っている言葉。赤い羽募金は、何かよくわからなかったけれど、茶封筒に100円玉なんかを入れて、シールがついた赤い羽をもらえる。中学から大学まではキリスト教系の学校に通っていたこともあって、毎月献金袋にじぶんのお小遣いからお金を入れていた。テレビをつければ、24時間テレビでチャリティー募金といったようなものもよく目にしていた。
社会人になってからは、東日本大震災をはじめとしたいろいろな悲しい災害が発生するたびに、各テレビ局が義援金の受付口座がことあるごとにうつしだされた。いっぽうでクラウドファンディングなんて言葉も出回り出したり、ふるさと納税だったり。「寄付」は多様なカタチで社会にありふれてきた。
ただ、自分の意思で「寄付」をしたことがあるかというと、それは NO だ。
そんな自分が、なぜ「寄付」を募っているのか。
□「仲間」に伝えるために
「寄付」=「お金」というイメージがある。いまでもある。
昔から、家もない・お金もない・頼る人がいない・どうしようもない、となったら、街ゆく人に1円ずつカンパを頼めば、1億たまるやん、ってたまに考えていた。けれど、急に「1円ください」と言って、どれだけの人が1円を出してくれるだろうか?カバンの中から財布を取りだし、1円を探し出し、1円玉をわたす。この1連の流れには、1分近くはかかる。自分だったら出さない。1円が惜しいからではない、めんどうだから。どこのだれかわからない人に、足を止めてもらい、お金を出してもらうためには、相当な営業力が必要だ。
この流れでいうと、「300円100人を集めるキャンペーン」をWEB上で始めたって、HPやSNSで発表したって、意味がないということになる。
単純計算すると、「3万円集めたい」と変換できる。客観的に考えると、「3万くらい自分で準備できるやろ」と強く思う。
結局のところ、3万円を集めたいわけじゃない。この事業を本気で始めました!っていう意思表示のために、利用している。
□ 大切なみんなの「お金と時間」
だからといって、集まったお金に意味を持っていないわけではない。「これに寄付しよう」と決断していただくまでの時間に意味をかんじていないわけではない。
みなさんの応援に、しっかりと責任を負う覚悟ができたからこそ、この「寄付」をお願いします!を、発信することができた。
ご寄付いただいたお金・悩んでいただいた時間を、モノ・ノウハウに置き換えて、こどもたちに楽しい時間を届けます。こどもたちの大切な命を守るための時間として使ってきます。預けていただいた「お金と時間」を責任持って、こどもたちに届けます。
みなさんからいただいた「お金と時間」を、こどもたちの「いまと将来の笑顔」に変えてきます。
もしよければ、ぼくたちといっしょに、「こどもたちの笑顔」をつくりに行きませんか?
□「ありがとう」を届ける
実は、1月31日までと終了期限を決めているキャンペーン。ぼくにとっては、300円をひとりひとりから集めることも、100人を集めることも、3万円を集めることも、客観的に評価しやすい結果にすぎない。
「300円すらもらえないのか、100人すら達成できないのか、3万円ごときできないとかありえない、そんなの集められなかった言い訳だ」という声が聞こえてくる。
そんなのどうだっていい。
この「マップづくりクラブ」というぼくの社会への表現方法に、いろいろなカタチで応援していただく方に、『ありがとう』をちゃんと伝える。
この2020年1月は、決意表明の月。これをします、応援してください、報告します、頼らせてください。
これからも応援どうぞよろしくお願いします。
応援・寄付いただいた方には、2020年2月に開催する3か所の幼稚園での子どもたちの笑顔を含めた『マップづくりクラブ』の詳細報告をさせてください。