【#非当事者から見える景色】理解してること・知ってることはついつい話したくなる
2021.09.24
つなげるで活動していて自己紹介をするときに、「ぼくは双子の父親ではないんです。メンバーは双子の親ばかりで、ここでは逆にマイノリティなんですよ」ってよく言います。
『マイノリティ』という言葉の意味って、本来は少数派ってことだと思うのですが、いつからか肩身が狭いみたいな意味合いで使われている気がします。ぼくの先ほどの自己紹介なんかも、「少数派で理解できていないことが多くて意見しづらいんですよ」と捉えることができそうに思います。(決して、そういう意味合いではないんですけどね)
ぼくはきっと安心できる環境だから、すごく堂々と「マイノリティなんですよ」って言えている気がする。自己紹介するときの相手の半数は、双子ママパパだったりする。つなげるの活動の中で出会っていれば、そんな自己紹介もしないだろうし、きっと向こうもこちらに興味がないと思う。だって、接点がないから。幼稚園とかが仮に一緒だとしても、声を掛けなかったと思う。
たぶん、5年前までは。
いまだったらきっと違うと思う。つなげるの活動外で、双子に関わる人と出会ったら、「こういうサービスがあるの知ってますか?」って、行政サービスや多胎サークルの話、もちろんつなげるが実施するサービスの話もしちゃうと思う。もしかしたら少しおせっかいになるかもしれないけれど。
結局のところ、理解していること・知っていることがあれば、話ができる。できるというよりも、したくなる。
当事者でなくても、多胎育児の大変さを話すことができる・問題解決するための制度・サービスを伝えることができる、そういう状態に持っていくというのも、やらなければいけないことのひとつだと思っています。